四国遍路
高知県中西部のお遍路・四国八十八ヶ所巡礼
高知県中西部地域(特に須崎市、中土佐町、四万十町)におけるお遍路・
四国八十八ヶ所霊場(札所)の関連情報、
主として四万十町にある四国八十八ヶ所第37番札所『岩本寺』
の情報や高知県中西部地域の遍路道や
番外霊場に関する情報を紹介しています。
修行の道場・土佐
高知県は四国の中で「修行の道場」と呼ばれています。なぜなら高知は札所から札所へ向かう道が他より極端に長く、山道や海岸線を通る道が険しいからです。仏教の排斥や破壊(廃仏毀釈)が四国の中でも特に激しかった事も、厳しいイメージがついた原因と言われています。
そんな高知県ですが気候は温暖で過ごしやすく、太平洋や緑豊かな山々に心身が癒される地でもあります。室戸岬には弘法大師が悟りを開いたと言い伝えられている御厨人窟(みくろど)があり、現在も見学する事ができます。
四国八十八ヶ所札所マップ[© 2016 Google]
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四国八十八ヶ所第37番札所 岩本寺
【山門(仁王門)】
【大師堂】
岩本寺の歴史・由来
五尊の本尊を祀る岩本寺はここ四万十町に建立されている。天平年間、寺伝によれば、聖武天皇の勅を奉じた行基菩薩が、七難即滅、七福即生を祈念して、現在地より北西約3kmの付近にある仁井田明神の傍に建立したと伝えられる末寺七ヶ寺をもつ福圓満寺が前身とされる。仁井田明神の別当職(別当寺)であったことから、仁井田寺とも呼ばれていた。弘法大師がこの寺を訪ねたのは弘仁年間。大師は一社に祀られていた仁井田明神のご神体を五つの社に別け、それぞれの社に不動明王像、観音菩薩像、阿弥陀如来像、薬師如来像、地蔵菩薩像を本地仏として安置した。大師は、さらに末寺五ヶ寺を建立された。このことから、福圓満寺等は七ヶ寺と合わせて十二福寺、また仁井田明神は仁井田五社と呼ばれていた。天正時代に兵火等で寺社共に一時衰退してしまう。再建の際に、この地域の全ての神社を管掌下においていた岩本寺(当時は岩本坊)に、寺の法灯並びに別当職は遷され、継承される。戦国・江戸時代には武将や藩主等から寺領等の寄進を受け、神仏習合の札所として隆盛を誇っていた。明治になると神仏分離の政策で仁井田五社と分離され、五尊の本地仏と札所が岩本寺に統一され、それに伴う廃仏毀釈の法難に遭い、寺領地の大半を失ってしまう。再建には苦難の道が続いたのであるが、少しずつ伽藍を整備し現在に至っている。
【弘法大師像】
岩本寺の見どころ
大師堂
200年ほど前の建造物で、境内では最も古い。
本堂内陣の格天井画
昭和53年新築の際に全国から公募し、本堂の天井には画家や一般市民が書いた花鳥風月から人間曼荼羅まで、575枚の絵が天井を彩っている。
岩本寺の年中行事
・節分会(星祭り) 2月3日
・除夜の鐘 12月31日(夜)そば・しるこ・酒等のお接待
【本堂内陣の格天井画】
岩本寺 基本情報
宗派:真言宗智山派
本尊:不動明王・観世音菩薩・阿弥陀如来・薬師如来・地蔵菩薩の5仏
開基:行基菩薩(寺伝)
創建:天平年間(729〜749)(寺伝)
住所:〒786-0004 高知県高岡郡四万十町茂串町3-13
電話:0880-22-0376 宿坊:あり(要予約)
駐車場:普通15〜20台 大型3〜4台 納経所で支払う
【右前:歓喜天(聖天堂) 左後:清流殿】
【岩本寺 鐘楼】
番外霊場 in 高知県中西部
番外霊場とは四国八十八ヶ所に含まれないものの、弘法大師(空海)にゆかりのある神社仏閣の事です。(例外もあります)
高知県にも70ヶ所以上の番外霊場があり、八十八ヶ所と一緒に訪れる巡礼者もいます。
花山院廟(かざんいんびょう)
「花山神社」とも呼ばれます。江戸時代は神社ではなく「春日山阿弥陀寺」というお寺でしたが、その後廃寺となりました。トタン板で覆われた外見は小屋のようですが、奥に行けば本殿があります(外から見る事は出来ない)。
花山院廟は弘法大師ゆかりの地ではありません。番外霊場として扱われているのは、まだ春日山阿弥陀寺だった頃に第65代天皇・花山天皇の位牌を安置していたという言い伝えが残っている為です。
仏坂不動尊
県道314号線から細い道を進んだ山奥にあります。坂道を登りきると右手には光明峯寺の大きな山門があり、境内の奥に進むと仏坂不動尊がひっそりと建っています。お堂の中には弘法大師が不動明王を刻んだと言われる岩(霊岩不動明王)が祀られている。そのため仏坂不動尊は「岩不動」とも呼ばれています。通いにくい山奥にも関わらず、地元の人がお参りに訪れたり談笑している姿が見られます。周りをぐるっと緑に囲まれたとても気持ちの良い場所。
鳴無(おとなし)神社
鎌倉時代に創建されたと言われ、国の重要文化財に指定されています。
祀られていた祭神(一言主)が「投げた石が落ちた場所に引っ越す」と、現在高知市内にある土佐神社へ移ったという伝説があります。夏には「お船遊び」と呼ばれる海上パレードや夏祭り、秋には神様に踊りを奉納する秋祭りが開かれます。最近では縁結びにご利益があるとして参拝客が訪れ、恋愛成就にちなんだ商品も発売されるなど注目を集めています。
無量山 観音寺
観音寺は飛鳥時代に須崎へ流れ着いた百済(朝鮮)の仏師と工匠が建立した寺院が始まりと言われています。彼らは寺院を創建する為に日本を訪れましたが、帰国時に船が暴風雨に見舞われ須崎沖へ流されてしまいます。その時に航海の安全を祈願して寺院を建立し「聖観音菩薩像」を安置したそうです。境内に植わっている大きな栗の木は「三度栗」と呼ばれる言い伝えが残る霊木です。新四国曼荼羅霊場第五十七番札所に指定されています。
高野山 大善寺
大善寺は弘法大師が海難事故の死者を弔い安全祈願をしたのが始まりと言い伝えられており「二つ石大師」「ぼけ封じ大師」と呼ばれています。本堂と納経所は高台にあり、そこから須崎市内や土佐湾の景色を一望できます。明治時代に廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)によって廃寺となりましたが、その後復興され、高台の昇り降りが辛い方の為に、大善寺横の「大善会館」にケーブルカー(有料)が設置されています。
四国別格二十霊場第五番札所・四国三十三観音霊場第十四番札所に指定。
久礼八幡宮
大正町市場から歩いてすぐの所にあります。
宝永4年(1707年)「亥の大変」と呼ばれる大災害で、社殿と一緒に資料や宝物が失われてしまいました。現在の久礼八幡宮はその後に再建されたものです。海に面しており、漁師達からは海を守護する神様として崇められています。久礼八幡宮のそばには三社神社・秋葉神社・八坂神社・稲荷神社があります。
毎年夏に開催される
久礼八幡宮大祭は、高知県の三大祭りの一つに数えられます。
久礼大師堂
中土佐町立美術館近くにある大師堂です。
左の小さな祠の中身は暦応2年(1339年)に作られた五輪塔で、中土佐町指定文化財とされています。この五輪塔を含む数点の石像は、以前はこの場所ではなく中土佐町役場の近辺に置かれていたようです。
大師堂の中には、弘法大師以来の才といわれた興教大師の木像「興教大師座像」が安置されています。
※中土佐町立美術館からは見えません。住宅等の裏手にあります。
高岡神社
高岡神社は、四万十町の清流四万十川のすぐそばにあり、5つに分かれている神社の総称。
県道322号線に五社は並んであります。正式名称は「仁井田明神」で、地元の方からは「五社さん」として親しまれている。弘法大師が高岡神社の東大宮に不動明王、今大神宮に聖観音菩薩、中の宮に阿弥陀如来、今宮に薬師如来、森の宮に地蔵菩薩を本地仏として安置したとされる仁井田五社とは現在の高岡神社のことで、今も鳥居と社殿が5ヶ所に分かれている。
添蚯蚓遍路道
場 所
- 四国八十八ヶ所霊場36番札所青龍寺から37番札所岩本寺へ向う中間地(青龍寺から添蚯蚓登り口まで約37.8km)
備 考
- 国道56号線沿いのコンビニ横の長沢川沿いの道を県道41号線方面へ進み、四国電力久礼発電所を過ぎ、橋を3つ渡る。
四国八十八ヶ所霊場の36番札所青龍(しょうりゅう)寺と37番札所岩本寺の間に位置する、中土佐町久礼から四万十町床鍋の七子峠(ななことうげ)に抜ける
遍路道「添蚯蚓(そえみみず)」。その奇妙な名前は、ミミズがはった跡のようにうねうねと曲がりくねっていることから名づけられたと、約300年前の「土佐州郡誌」に書かれています。約5kmの古道は峠越えの難所です。しかし、江戸時代は、高知から幡多に行く往還(現在の国道)として、最重要の役割を担っていました。土佐藩主の山内氏も添蚯蚓を通り、幡多まで巡検に赴いています。
道中には過去に人が往来した証として、遍路石や石畳、遍路墓(お遍路さんのお墓)が今でも残っています。また、頂上付近には弘法大師が修行をしたと伝えられる庵寺跡(海月庵)も残っています。
坂本龍馬が歩いた道として、高知県梼原町から愛媛県側へ抜ける「
脱藩の道」が知られていますが、嘉永元年(1848年)
坂本龍馬が14歳の時、この添蚯蚓を通って四万十川の改修工事で幡多へ行き、勤王の志士の指導者として知られる樋口真吉と出会ったと言われています。
(高知新聞2009年5月5日朝刊掲載記事より抜粋)
「
おおのみ自然愛好会による添蚯蚓歩きレポート」
中土佐町広報2009年7月号より
「
龍馬研究会による添蚯蚓レポート」
中土佐町広報2009年7月号より
◆ヘンロ小屋 そえみみず 酔芙蓉(すいふよう)
添蚯蚓遍路道への登り口付近に、小さな休憩所「ヘンロ小屋」があります。このヘンロ小屋は、2006年に亡くなった石橋敬子さんのご兄弟が、石橋さんが歩き遍路ツアーでの出来事を楽しそうに話していたことを思い出し、「姉の供養と遍路仲間への恩返しに」と、建築家の歌一洋氏(近畿大教授)が提唱する「四国八十八ヶ所遍路小屋プロジェクト」に資金の寄付をして建てられたものです。(プロジェクト31棟目の小屋です。)囲いには、石橋さんが生きた年月を示す69本の木を使用しています。お酒を飲むと、顔をすぐに赤らめ、遍路仲間から「酔芙蓉(すいふよう)」と呼ばれていたことにちなみ、「そえみみず・酔芙蓉」と名づけられました。また、初めて遍路道を歩いた時にお接待をしてくれた女性に分けてもらった酔芙蓉も植えています。(この写真は、2009年1月24日の完成式の様子です。)
(毎日新聞2009年1月22日夕刊掲載記事より抜粋)
◆遍路道・添蚯蚓について
この地・長沢弘岡から四万十町(旧窪川町)床鍋(とこなべ)に至る往還(おうかん:今の国道)を添蚯蚓(そえみみず)と呼んでいます。1700年頃に書かれた「土佐州郡志」という書物には「東西逶?如蚯蚓之状故名」と記されており、道の状態が左右に曲がりくねって前に進むミミズのさまに似ているので、この名がついたのではと本の作者は述べています。すぐ近くには「此ヨリあん迄24丁須崎カコヤ増平 文政12正月吉日」(文政12年は1829年)と刻まれた道標が建っています。道中にはおなみさんと土地の人に語り伝えられる遍路墓や弘法大師が旅人のために湧出させたと伝えられる弘法清水の跡があり、峠付近の庵跡には明治時代まで茶店もありました。今は黒竹林となっている庵跡はその昔、修行中の空海が久礼湾上の月を賞して「海月庵」という庵(いおり)をむすび、地蔵菩薩と自坐像を刻んだという空海修行伝説の地でもあります。中世以前からの幡多路への通り道であった往還・添蚯蚓も明治25年に大坂谷から七子峠(ななことうげ)に越す道が開通してからは廃道となりました。しかしこの添蚯蚓は近年、貴重な先人の足跡を残した遍路道として見直されようとしています。江戸時代の風情が残り、道中には弘法大師ゆかりの遺跡や遍路墓等が存在するこの道は、町のまた四国の財産として後世に伝えなければならない大切な文化遺産でもあります。
平成15年3月 中土佐町教育委員会
(添蚯蚓遍路道登り口の看板より抜粋)
接待所 in 須崎市・中土佐町
天正19年銘四国中遍路逆修塔(高知県保護有形文化財)
久礼小学校・中学校間の陸橋から小学校寄り30メートル左の山腹に天正19年(西暦1591年)の年号のある
四国遍路に関する石碑があります。その石碑には次の文字が刻まれています。
『四國中遍路ロ七度成就也 敬白
南無大師遍照金剛
為美作國住円心逆修也 天正一九卯辛年
六月廿一日』この文字からこの塔は、今から約400余年前に今の
岡山県の円心という修行僧が、四国中遍路七度達成を記念して建立したものであることがわかります。「逆修」というのは、中世によく行われていた風習で、本人が生前に自分の死後の供養をすることです。現在の「四国霊場八十八か所」は江戸時代初期の1600年代には完成していますが、ではいつ頃、誰により、どのような経過をへて八十八か所が決められたのかというとよく分かっていません。この碑は、四国遍路の研究にとってとても大事なものですので、「中土佐町文化財」に指定されています。平成14年10月 中土佐町教育委員会
(四国中遍路逆修塔の案内板より抜粋)
この石塔は、遍路に関する四国最古の石造物で、中世から近世にかけての遍路史研究の貴重な資料として、
平成15年3月に高知県保護有形文化財に指定されています。
中土佐町発行「へんろ道[添蚯蚓・大坂〜七子峠・本蚯蚓]」より抜粋
久礼・永久町のお遍路さん接待所
中土佐町久礼の永久町に手作りの「
歩き遍路の接待所」があります。この接待所は、2008年の秋ごろに、山本吉信さん・弘美さんご夫婦が自宅前の空き地に完成させたものです。山本さんは、自家用車での四国88ヶ所霊場巡礼の経験を持ち「いつかはお接待をしたい」と思い続け、お二人で協力し合い手作りの接待所を作りあげました。
長沢川を挟んだ南向かいの堤防には、桜の木が数十メートル程植えられており、春には大変美しい桜並木を楽しませてくれます。川を吹き抜ける風も心地いいです。
上久礼橋の袂に「添蚯蚓への近道」と書いた道標を立てたことで、山本さんの接待所は
お遍路さんに知られるようになり、利用者が増えてきたそうです。春ごろには、氷をいれたクーラーボックスにお茶が冷やされており、お菓子や文旦、飴など疲れた体に嬉しいものが用意されていました。山本さんご夫婦の温かいお接待で、次の37番札所岩本寺への足取りも軽くなることでしょう。
坂本龍馬も歩いたと言われている険しい山道の「
添蚯蚓(そえみみず)遍路道」にチャレンジしてみては!?
高知県須崎市・中土佐町の接待所マップ
No. |
接待所の場所と設備 |
1 |
須崎市浦ノ内須ノ浦 休憩場所のみ |
2 |
横浪黒潮ライン(武市半平太像が目印) 駐車場・トイレ・自動販売機 |
3 |
須崎市立スポーツセンター・カヌー場 駐車場・トイレ・自動販売機 |
4 |
須崎市浦ノ内東分(浦ノ内湾沿い) 駐車場(小)・トイレ・自動販売機 |
5 |
須崎市押岡[四国88ヶ所ヘンロ小屋第17号須崎] トイレ・水道 |
6 |
すさきSAT情報館(食事処:ぐるーめすさき) 駐車場・トイレ・自動販売機・食事処(土日祝のみ) |
7 |
まちかどギャラリー 駐車場・観光案内 |
8 |
道の駅 かわうその里すさき 駐車場・トイレ・自動販売機・レストラン・お土産店 |
9 |
中土佐町久礼永久町 休憩場所のみ |
10 |
添蚯蚓遍路道[第31号そえみみず・酔芙蓉] 休憩場所のみ(お接待あり) |
遍路用語 まとめ
【お遍路】
弘法大師(空海)が開いたと言われる四国の霊場八十八ヶ所を巡礼する事をお遍路という。その道のりは厳しく、のちに大師の弟子達が巡礼するようになった(特に高知県は「修行の道場」と呼ばれる難所)。巡礼する事により、煩悩が消え願い事が叶うとされる。近年では徒歩以外の方法でも気軽に巡礼出来るので「修行」ではなく「観光」を目的としている巡礼者も多い。お遍路にかかる日数は約50日、費用は平均で40〜50万円程度(※個人差あり)。
【同行二人】
お遍路用具に書かれている言葉。「一人で巡礼していても、いつも弘法大師が一緒にいる」という意味。弘法大師に限らず、亡くなった家族や大切な人の事を想っても良いとされる。
【お接待】
お遍路をしていると地元の人から食べ物や飲み物・時には宿など、さまざまな援助をしてもらう事がある。これはお接待といい、地元の人々の好意で成り立っているお遍路の風習。お接待は巡礼者への支援だけでなく、弘法大師への供養・賽銭でもある。遍路道に設置されている巡礼者用の休憩所は「接待所」と呼ばれる。
【順打ち・逆打ち】
順打ちは札所を番号順(時計回り)に巡拝する事で、初心者でも歩きやすい。一方逆打ちは反時計回りに巡礼する。基本の遍路道に逆らって進むので難易度は高いが、順打ちよりもご利益が大きいとされる。お遍路には衛門三郎という平安時代に四国を巡礼した男の伝説があり、逆打ちで巡礼すると弘法大師に会えると言われている。