満天土佐イメージ

青山文庫の坂本龍馬関連展示物



 探検隊ルポ★Vol.30 坂本龍馬が使った銃と同型モデルの銃を展示している青山文庫へ訪れる
Vol.30探検日 H21.11.21 AM11:00〜PM12:00】
 来年のNHK大河ドラマに「龍馬伝」が決まり、坂本龍馬への関心が更にアップ↑しています。そんな中、佐川町の青山文庫(せいざんぶんこ)に、坂本龍馬が約140年前の寺田屋事件の時に使ったとされる米国製の銃と同型の銃が展示されると、高知新聞に紹介されていました。展示期間は、11月20日〜29日までの9日間。この貴重な機会を逃してなるものか!と歴史の勉強も兼ねて訪れてみました。JR佐川駅から徒歩で10分程歩くと、白壁と瓦屋根の趣のある町並みに入りました。そこはなんとも言えないいい香りが・・・その名はなんと「酒蔵の道」。通りには、佐川町の酒蔵メーカー司牡丹の工場があり、日本酒のいい香りが漂っています。司牡丹のギャラリーを発見♪すぐに立ち寄りたい誘惑を我慢し、足を進めました。まだ紅葉の残る景色を楽しみながら、3分程歩くと「青山文庫」に到着しました。

青山文庫への町並み
佐川町 酒蔵の道

受付の女性の方に、「坂本龍馬が使ったものと同じ型の銃が展示されていると聞いて来たのですが・・・」と言うと親切に、展示している場所へ案内してくれました。展示場で厳重に保管されていたその銃は、32口径の回転式6連発銃「S&W(スミス・アンド・ウエッソン)モデル2」で、南北戦争時代を含む1860〜1870年代に7万7千丁が製造された銃のようです。(日本国内には数十丁ほどしか入ってきてなかったそうです。)命がけで、明治維新の礎を築きあげた龍馬は、どんな人物だったのだろうと、しみじみと考えながらガラス越しに眺めました。(館内は撮影禁止なので画像をお届けできないのが残念です。
青山文庫


明治以前に造られた巨砲の破片
「深尾氏製造の巨砲の破片」
他にも、坂本龍馬の画像や、吉村虎太郎が土佐藩脱藩を前にうたった詩、中岡慎太郎の手紙など貴重な展示物が多数ありました。
また、佐川町では幕末に大砲がさかんに造られていたようで、館外に佐川の領主深尾氏製造の巨砲の破片がありました。(屋外の吹きさらしで大丈夫なのでしょうか!?) 佐川では天保末年、第九代当主「相模重教」が幕臣下曽根金三郎に学んだことによって西洋式砲術が伝えられた。藩内ではもっとも早い時期に属し、大砲は重教、また次の鼎(鼎)重先によって造られた。しかし、このころの土佐には反射炉の設備がないため、昔ながらの踏鞴吹き(たたらぶき)によっている。この鉄塊もそれらの破砕片のひとつとして伝えられているもので、高知県工業技術センターの科学的分析の結果、明治期以前の鋳造であることが証明されている。

「青山文庫:せいざんぶんこ」とは

明治43年(1910年)に佐川町郵便局長川田豊太郎氏が、高知県初の施設図書館「川田文庫」を設立したことが始まりです。その後、大正4年に「青山会」が発足され、「川田文庫」が発展的に解消され「青山文庫」が設立されました。「青山」とは、土佐勤王党や陸援隊(中岡慎太郎の補佐)、高野山の討幕挙兵を指揮し活躍した、佐川町出身の元宮内大臣・田中光顕(たなかみつあき)氏の雅号からとったそうです。その田中光顕氏やその子孫から多くの資料が寄贈されたことで、青山文庫は資料が豊富になっていったそうです。<看板より抜粋>
意外と知らない地元の歴史に触れる機会になり、ちょっと文学的な時間を過ごせました。
やはり、実物を目で見て感じるのはいいものですね。
もちろん、帰りには司牡丹のギャラリーで日本酒をちゃんと買って帰りましたよ!