幕末の英雄・坂本龍馬や勤王の志士たちの足跡が残る高知県梼原町。
この地には幕末の志士の功績を讃え勇姿を永遠に伝えてゆく八志士の群像「維新の門」があります。
幕末の八志士の群像、維新の門
幕末の英雄、坂本龍馬は、文久2年(1862年)3月24日に高知を出奔し、翌25日に梼原に到着。その夜、梼原の勤王の志士である那須俊平、信吾父子の家に宿泊、26日に俊平、信吾の道案内により、盟友澤村惣之丞と共に偉業を夢見て脱藩。梼原町からも吉村虎太郎、中平龍之助、前田繋馬が国境を越え、維新動乱の渦中に身を投じた。また掛橋和泉は自らの家財を費やしてこれらの志士を援助。
龍馬脱藩から6年後、明治維新が起こり、近代国家が誕生したが、その時すでにこの八人の志士達は、志半ばにして不遇な最後を遂げていた。
これらの銅像は町内外の数多くの有志により平成7年11月11日に建立された。
銅像制作者は、吉村虎太郎銅像(津野町)やジョン万次郎銅像(土佐清水市)、
岩崎弥太郎銅像(安芸市)など数多くの作品を手掛けた銅像作家の濱田浩造氏です。
坂本龍馬(さかもとりょうま)
1835〜1867年。高知の郷士坂本八平(坂本直足)、妻幸の次男として産まれる。実名は直陰(なおかげ)、直柔(なおなり)、変名は才谷屋(さいたにや)梅太郎。江戸の千葉定吉の門に入り、北辰一刀流を修めた。武市端山(武市半平太)と交わり勤王党に血盟加入、文久2年春、同志澤村惣之丞とともに脱藩、勝海舟らに啓発される。薩長同盟の締結、大政奉還の推進など、維新の指導者として活躍したが、慶応3年11月15日、盟友中岡慎太郎とともに、京都近江屋で討たれた(近江屋事件)。(維新志士列伝の掲示板より抜粋、坂本龍馬は右像)
澤村惣之丞(さわむらそうのじょう)
1843〜1868年。高知潮江村地下浪人の家に生まれる。文久2年春、坂本龍馬とともに土佐藩脱藩、勝海舟の神戸海軍塾に学び、亀山社中に加わって、坂本龍馬の片腕として活躍した。慶応4年1月、幕府軍の敗退を知って長崎奉行は退廃した。その奉行所を占領して市中の治安維持に当たっているとき薩摩藩士を誤殺、「この大事な時に薩摩と土佐の間に溝を生じてはならない」と、従容として自決した。
(維新志士列伝の掲示板より抜粋)
掛橋和泉(かけはしいずみ)
1835〜1862年。梼原村那須常吉、妻歌の二男として生まれ、同村神職掛橋家に養子として入った。
すぐ隣の庄屋吉村虎太郎と親交を重ね、勤王の志を重ねた。
文久2年、同志が相次いで土佐藩を脱藩。家が裕福であった和泉は、家財を費やして彼らを援助した。
これが養母の知るところとなり、この詰責を受け、同志に累の及ぶことを恐れ、自決した。
(維新志士列伝の掲示板より抜粋)
那須俊平(なすしゅんぺい)
1807〜1864年。梼原村に産まれ、同村郷士那須忠篤の養子となった。武芸を好み、特に槍術に長じ、
「土佐一の槍の達人」と称された。文久2年4月、養子の信吾は藩佐幕派に吉田東洋を切って脱藩した。
俊平も元治元年脱藩。長州の忠勇隊に入った同年、58歳の身で禁門の変に参加し、奮戦の末戦死した。
(維新志士列伝の掲示板より抜粋)
那須信吾(なすしんご)
1829〜1863年。佐川村浜田宅左衛門、妻悦の二男として産まれる。梼原村郷士那須俊平の養子となり、
その娘為代と結婚した。文久2年3月、坂本龍馬、澤村惣之丞を韮ヶ峠まで案内し、
4月には土佐藩佐幕派の巨頭吉田東洋を斬り、その足で土佐藩を脱藩し京都に潜伏した。
翌3月、吉村虎太郎らと天誅組を挙兵したが幕軍に阻まれ破滅、鷲家口(奈良県)で戦死した。
(維新志士列伝の掲示板より抜粋)
吉村虎太郎(よしむらとらたろう)
1837〜1863年。芳生野村庄屋吉村太平、妻雪の長男として産まれる。間崎滄浪の門に学び、
肝胆相照らす間となる。安政6年梼原村番人大庄屋として赴任した。
武市端山らと勤王党を結成、文久2年に土佐藩を脱藩して京に上がった。
一時捕らわれて牢舎に呷吟する身となったが、出所後再び京に上がり、天誅組を組織し、大和に兵を挙げた。
しかし、八・一八の政変で孤立無縁となり、
鷲家谷(奈良県)にて幕軍に阻まれ天誅組は崩壊、虎太郎も壮絶な死を遂げた。
(維新志士列伝の掲示板より抜粋)
中平龍之介(なかひらりゅうのすけ)
1842〜1864年。梼原村地下浪人中平佐平、妻登根の長男として産まれる。
那須俊平に剣を学び、同志と気脈を通じ、勤王の志を篤くする。
文久3年土佐藩脱藩、長州の忠勇隊に入り禁門の変に参戦した。
激闘の末重傷を負い自決した。(維新志士列伝の掲示板より抜粋)
前田繁馬(まえだしげま)
1835〜1863年。松原村庄屋前田広作、妻きくえの長男として生まれる。
那須俊平に剣を学び、文久3年一族の前田要蔵に従って上京。
吉村虎太郎、那須信吾らと交わって勤王の志を固めた。
吉村虎太郎の挙兵に加わり、天誅組に入って大和に進撃したが、
政変によって隊は崩壊、初瀬(奈良県)で戦死した。
(維新志士列伝の掲示板より抜粋)
維新の門・基本情報
- 場所:高知県高岡郡梼原町川西路2346/和田城(川西路地区構造改善センター)の広場にあります。
- アクセス方法:須崎中央ICから国道197号線を車で約1時間
車でのアクセス方法(出発地〜維新の門まで)