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高岡神社・五社(仁井田明神)

四万十町 高岡神社・五社・仁井田明神

 このページでは、四万十町にある「高岡神社・五社(仁井田明神)」をご紹介しています。

社が五つ並ぶ高岡神社

 高岡神社たかおかじんじゃ)は、四万十町の清流四万十川のすぐそばにあり、5つに分かれている神社の総称。県道322号線に五社は並んであります。正式名称は「仁井田明神」で、地元の方からは「五社さん」として親しまれている。
 弘法大師が高岡神社の東大宮に不動明王、今大神宮に聖観音菩薩、中の宮に阿弥陀如来、今宮に薬師如来、森の宮に地蔵菩薩を本地仏として安置したとされる仁井田五社とは現在の高岡神社のことで、今も鳥居と社殿が5ヶ所に分かれている。
 また、毎年11月に開催されている秋のお祭り「高岡神社秋季例大祭」は四万十町指定無形民俗文化財にも指定されている。 【四万十町の観光案内

岩本寺と高岡神社の繋がりと歴史

四国八十八箇所三十七番札所岩本寺の元札所
 天平年間(729〜749)に、聖武天皇の勅願で、行基菩薩が「七難即滅、七福即生」を祈念して、仁井田(現四万十町窪川地区)に七ヶ寺を建立し、これら七つの寺を「仁井田七福寺」と称した。弘仁年間(810〜824)に弘法大師(空海)が五社五ヶ寺を建立し、「仁井田七福寺」と合わせて、「仁井田十二福寺」と称し、仁井田明神は「仁井田五社」と呼ばれ、神仏習合の霊場として栄えたとされる。五社の境内に福円満寺という札所があったが、その後天文年間(1528〜1555)には、中ノ宮が札所となり、その後、別当寺の岩本寺が札所となったといわれています。
 従って、おへんろさんは、高岡神社(中ノ宮)に札を納めた後、岩本寺で納経を行う方が多いようです。
高岡神社 四万十町

高岡神社の由来
伊予國豪族の河野氏の子孫が一族の争いから逃れ、仁井田郷(現在の窪川地区)に来往し、土豪の井仁の翁と共に一帯の土地を開き、安住の地とした。
 そして、祖神を祀ったのが仁井田大明神で、仁井田郷の総鎮守の神社とした。
 天長3年(826)弘法大師が四国霊場の札所として、境内に福円満寺を創建し、五つの社に分け、一の宮に不動明王、二の宮に観世音菩薩、三の宮に阿弥陀如来、四の宮に薬師如来、五の宮に地蔵菩薩を祀り、神仏習合の五社大明神と改められた。
 江戸期に入ると、山内忠義土佐藩主は、社殿改築や金幣を奉納するなど、武運長久を祈念し崇敬神とした。
 社宝として、豪勇中西権七の所持したと伝えられる長刀や、井溝発掘中に出土した弥生期の古代銅鉾のほか、伝世品としては四国で一番古いという古瀬戸瓶子が納められている。【案内板:高岡神社(五社)の由来記より】
 高岡神社五社(東側から順に)
東大宮(一の宮) 大日本根子彦太邇尊(不動明王)
 鳥居をくぐり20段弱の石段の上に社殿があります。入り口鳥居左には、おへんろ休憩所の東屋があります。
今大神宮(二の宮) 磯城細姫尊(観世音菩薩)
 道路沿いの鳥居から一般道と共通の参道の50m程奥に社殿があります。
中ノ宮(三の宮) 大山祇尊・吉備津彦狭島尊(阿弥陀如来)
 五社の中心にあり、神仏習合の時代には、この中ノ宮が四国霊場の札所として重要な役目を担っていたようです。
今宮(四の宮) 伊豫二名州小千尊(薬師如来)
 たくさんの木々に囲まれ、道路から少し奥に上がった所に社殿があります。社手前左には、ご神木の大杉があります。
森ノ宮(五の宮) 伊豫天狭貫尊(地蔵菩薩)
 その名の通り、森の入り口にある鳥居を潜り、急な石段(手すり付き)を上ると、社殿があります。

高岡神社・五社(仁井田明神)の情報

    お問合せ
  • 高岡神社 社務所 TEL:0880-22-3652