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坂本龍馬ゆかりの地 in 高知県中西部

坂本龍馬脱藩の道

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坂本龍馬脱藩の道(梼原町)」など高知県中西部における坂本龍馬ゆかりの地を掲載しています。

幕末の英雄、土佐藩坂本龍馬ゆかりの地について、高知県中西部(特に梼原町津野町須崎市中土佐町、一部佐川町含む)の名所・旧跡をまとめてみました。


高知県中西部における坂本龍馬ゆかりの地のご紹介


坂本龍馬脱藩の道(梼原町)

坂本龍馬脱藩の道
文久2年3月25日夕刻梼原に入った龍馬。那須俊平・信吾邸に宿泊した後、澤村惣之丞と共に伊予国境に向けて駆け抜けていきます。梼原町内には、龍馬脱藩の道が市街地や山道にあり、地元ガイドによる案内も行われています。また、かつて旅人を茶菓子でもてなした茅葺き屋根の茶堂が点在しています。
車でのアクセス方法(梼原町役場まで)
(須崎中央ICより車で約1時間20分)

坂本龍馬脱藩の道(朽ノ木峠)

坂本龍馬脱藩の道 朽ノ木峠越え
佐川町と旧葉山村を結ぶこの道は、藩政時代から明治まで幹線道路として人々が行き来していました。文久2年3月25日早朝、この峠を越えて梼原町へと歩みを進めていきました。
毎年、ウォーキングイベント『歩こう維新の道 健康ウォーキング葉山街道』が開催され、多くの龍馬ファンが訪れています。
車でのアクセス方法(朽ノ木峠周辺まで)
(須崎東ICより車で約15分)※車では途中までしか行けません



維新の門(八志士の群像)

維新の門(八志士の群像)
坂本龍馬と澤村惣之丞(龍馬の片腕として共に脱藩・活躍)、梼原ゆかりの志士6名(中平龍之介・那須俊平・那須信吾・吉村虎太郎・掛橋和泉・前田繁馬)の群像。歴史上に名を遺した彼らの功績と勇姿を称えて建てられた群像は、脱藩の道伊予国境を向いています。
車でのアクセス方法(維新の門まで)
(須崎中央ICより車で約1時間20分)

土佐藩砲台跡

土佐藩砲台跡
幕末、異国船の来航があり、海岸防衛のため須崎市に建てられた砲台跡地。須崎には、西・中・東の3箇所に台場が築かれましたが、現存しているのはこの西台場のみです。(国の史跡に指定されています。)慶応3年(1867年)、イギリス水夫殺害事件で公使パークスが須崎港に入港した際に、龍馬も来航して交渉を見守ったようです。
車でのアクセス方法(土佐藩砲台跡まで)
(須崎中央ICより車で約5分)


龍馬首切り地蔵(発生寺)

龍馬が首を切ったと言い伝えられている地蔵
幕末、発生寺(ほっしょうじ)の住職であった智隆和尚(ちりゅうおしょう)は、勤王の志厚く、土佐勤王党名簿に載っている人物です。発生寺は、近隣の郷氏や庄屋たちの密会の場となっていました。坂本龍馬が訪れたおりに志士たちと熱論になり、境内に安置されている石仏地蔵を木刀で一刀にて打ち落としたと言い伝えられています。
車でのアクセス方法(発生寺まで)
(須崎中央ICより車で約5分)

古道「添蚯蚓遍路道(そえみみずへんろみち)」

古道「添蚯蚓遍路道」
嘉永元年(1848年)、坂本龍馬14歳の時、この「添蚯蚓」を通って四万十川の改修工事で幡多へ行き、勤王の指導者として知られる樋口真吉と出会ったと言われています。
車でのアクセス方法(添蚯蚓遍路道上り口付近まで)
※車では途中までしか行けません(須崎中央ICより車で約21分)

武市半平太像(横浪黒潮スカイライン)

武市半平太銅像
県立公園に指定されている横浪黒潮スカイライン。その中間に、全長6メートルの武市半平太(たけちはんぺいた)像が雄大な景色の中、堂々と立っています。銅像の後ろにある石碑には、幕末の動乱期に武市半平太と共に活躍した志士たちの名前が刻まれています。リアス式海岸の美しい景色を眺めながらのドライブは爽快♪
車でのアクセス方法(横浪黒潮スカイラインまで)
(須崎東ICより車で約30分)

青山文庫(せいざんぶんこ)

青山文庫(せいざんぶんこ)
坂本龍馬の画像や吉村虎太郎が土佐藩脱藩の際に詠った詩、中岡慎太郎の手紙、西郷隆盛の文など幕末の動乱期に活躍した志士たちの貴重な資料が多数展示されています。土佐佐川出身の志士として活躍し、明治政府の宮内大臣を務めた田中光顕氏(雅号:青山)やその子孫から多くの資料が寄贈されています。
車でのアクセス方法(青山文庫まで)
(須崎東ICより車で約25分)

坂本龍馬 33年の生涯

  • 天保6年(1835年)11月15日
  • 高知城下の郷士坂本八平直足の次男として生まれる。
  • 弘化3年(1846年)12歳
  • 母・幸が死去
    城西小高坂村楠山塾に入門・退塾。
  • 嘉永元年(1848年)14歳
  • 日根野道場にて小栗流剣術を学ぶ。
  • 嘉永6年(1853年)19歳
  • 日根野弁治より「小栗流和兵法事目録」一巻を伝授される。
    3月17日江戸へ剣術修行に出る。京橋桶町北辰一刀流の千葉道場に入門、沿岸警備に出る。
    (浦賀に黒船来航、アメリカのペリー提督が開国を迫る)
  • 安政元年(1854年)20歳
  • 6月23日 江戸より土佐へ帰国。
    ジョン万次郎の見聞録「漂巽紀略(ひょうそんきりゃく)」の著者・河田小龍(かわだしょうりゅう)を訪ねる。
  • 安政2年(1855年)21歳
  • 12月4日 父・八平死去
  • 安政3年(1856年)22歳
  • 8月20日 再び剣術修行を許され江戸に再遊学
  • 安政5年(1858年)24歳
  • 1月 「北辰一刀流長刀兵法」を授かる
    9月 江戸修行より土佐へ帰国
  • 文久元年(1861年)27歳
  • 8月 武市半平太(たけちはんぺいた)が「土佐勤王党」を結成、龍馬も加盟。

  • 文久2年(1862年)28歳
  • 1月14日 武市半平太の使者として長州萩に久坂玄瑞(くさかげんすい)を訪ねる。
    3月24日 澤村惣之丞(さわむらそのじょ)と共に脱藩、長州下関へ。
    10月、千葉重太郎と勝海舟を訪問、門下生となる。
    12月5日 江戸越前邸で間崎、近藤と共に松平春獄(まつだいらしゅんがく)に謁見、海防策を具申する。
  • 文久3年(1863年)29歳
  • 1月16日 勝海舟のはからいにより、龍馬の脱藩罪が許される。
    5月16日 勝海舟の使者として福井の松平春獄を訪問。神戸海軍塾創設資金の5千両を借用する。
    10月 海軍塾塾頭となるが、帰国命令を拒否したため再び脱藩の身となる。
  • 元治元年(1864年)31歳
  • 4月5日 土方楠左衛門(土方久元)と中岡慎太郎と薩長同盟を策し賛同。
    5月 亀山社中を長崎で設立
    8月中旬 井上・伊藤、英国商人グラバーから小銃を購入し、下関に運ぶ。
  • 慶応2年(1866年)32歳
  • 1月22日 小松帯刀(こまつたてわき)・西郷隆盛・桂小五郎・龍馬会談、「薩長同盟」成立
    1月24日 伏見の寺田屋において伏見奉行所の捕史に襲撃され負傷。
    2月 お龍と結婚
    3月5日 鹿児島へ新婚旅行
  • 慶応3年(1867年)33歳
  • 3月下旬 龍馬と中岡の脱藩罪赦免。
    4月上旬 土佐藩により海援隊設立、隊長に任命される。
    4月23日 いろは丸、備中福山沖で紀州藩明光丸と衝突し沈没。
    6月15日 夕顔丸にて「船中八策」を記し、土佐藩後藤象二郎により大政奉還白案として前土佐藩主山内容堂候へ。
    9月29日 6年ぶりに坂本家に帰る。
    11月15日 近江屋(おうみや)で襲撃され、中岡慎太郎と共に暗殺される。(近江屋事件)
高知県中西部の宿泊施設
高知県中西部の観光案内


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